周南のまちを創る!(PartⅠ)
「周南のまちを創る!」を考えてみました。〈《まちの変遷編》〉
周南
市は、、2003年(平成15年)4月21日に、徳山市をはじめ、 新南陽市、熊毛町、鹿野町が合併して誕生しました。
戦後、近代化と高度経済成長の波にのり、重化学工業の成長と共に発展してきました。旧徳山市時代から有名な、銀南商店街は当時、最先端の商業施設だったと聞きます。ここを中心にまわりの商店街が形成され、「徳山のまち」となったのではないでしょうか。
←昭和40年頃の銀南街の様子。
現在、銀南街には立派なアーケードがかけられ、 銀座や南銀座といった他の商店街にも現代的なアーケードがかけられています。
アトリウムの屋根は開閉できるらしく、七夕や、クリスマスなどのイベント時には、天井に鮮やかな電飾が設けられます。
昭和28年に木造3階建ての商店街として発足。昭和40年に鉄筋コンクリート6階・地下3階の近代的な商店街へリニューアルしました。
東西に隣接するアーケードを含めると、長さ約300mのアーケード商店街となります。
雨の日は傘を差さずにすむので良いですが、近年、雨漏りと構造の老朽化、そして床材がすべりやすくて高齢者にちょっと危険かなと思っています。デザインも昭和のデザインで賛否両論ありますが、自然素材のテクスチャーのある床材にすると雰囲気ががらりと変わると思います。
祭りの時でしょうか。当然ですが、上の写真と比べてシャッター(閉店した店)が見られません。
当時は、近隣の市から(新南陽市や鹿野町、熊毛町、下松市など、)防府からも「街」と言えば徳山ということでわくわくしてみなさん訪れたそうです。
防府の知人(33才男性)曰く、高校時代、徳山の屋台でラーメンを食べるのが楽しみだったと。。。
新南陽市の知人(39才男性)は、高校時代、ビリヤードやアーケードゲームをやりに、バスに乗って徳山にくりだしちょったと。。。
現在は、昼)欲しいものが売ってない。若者が少ない。人が少ない。魅力的な店(物販・飲食)がない。家族で食べるところがない。シャッターが多い。暗い。などネガティブ意見が多いです。
夜)については、飲屋以外は、昼とだいたい同じ意見と、終電が早い。ですが、ポジティブ意見が見られます。>>飲み屋が結構充実している。確かに、遠方(東京)から遊びに来た知人にも、こんなに飲屋があるとは。。。銀座のような内装のクラブもあるのは驚いた。と。
バブル以降の景気の低迷、世界経済低迷後、浮上の兆しの見えない経済情勢の中、日本は、周南市(山口県は)は特に、高齢者人口が増え、若者比率は低下の一途です。今後は急激に市の人口総数が減っていきます。
でも安心?下さい。明るい兆しはあるのです。(個人的な計画ですが。。。)



















